警察官に剣道は必要か

18日、元「剣道日本一」の警察官が警視庁に逮捕された。掛けられた容疑はここに書くも忌まわしい類のもの。一例に過ぎないとは言え、それが事実なら、長年剣道の研鑽を積んだところで大して品格は育まれないということだ。果たして警察が剣道の修養を職員へ要求する意義は十分にあるのだろうか。

■そもそも現代の警察官は刀など携行していない
戦前・戦中、警察官は帯剣していた。(もっとも柄の部分が片手で握るタイプである「サーベル」が大部分であったようだが。)しかし現代の武器は拳銃、警棒である。「警杖」と呼ばれる長い棒の装備もあるようだが、普段大部分の警察官が携行しているところは見かけない。いくら両手で竹刀のような棒を振り回す練習をしても、肝心の被疑者と対峙する殆どの場面で、警察官たちは長い棒を使えないのだ。それより重点的に実施すべきは、今の時代に常時携行している武器の習熟に決まっているではないか。

■容疑者の確保は抵抗する者との対等なルールの競技ではない
逮捕の理由がある粗暴な容疑者の確保なら、何も竹刀を使って一対一で対等に犯人と対決する訳はない。多数の警察官で取り掛かり、最も確実な道具を使用して早急に拘束するまでだ。

■警察官が剣道をすれば防犯や犯人の捜査に役に立つのか
「品格の向上」に無意味だと言っても、国民が最も期待する「検挙率の向上」も期待できないと直接結びつけるのは乱暴かもしれない。しかし警察が今後も業務の一環として剣道の修養に資源を割くなら、実施する効果を是非証明してもらいたい。ずばり一部の複数の管区で剣道の修養に変化をつけて犯罪の発生や検挙率の変化を比較するのだ。実施の有無で効果の変化に乏しいなら廃止すべきである。「明治時代からの伝統」など歳出を続ける理由にはならない。

例の逮捕された警察官は幼少のころから剣道をはじめ、20代後半にして剣道日本一となった。おそらく剣道を続けるために警察官になったのであろう。それを邪道とまでは決め付けられないが、効果が明らかでないなら仕事とは認められまい。組織としては福利厚生、職員にとっては単なるレジャーのひとつとしか意味を持ち得ないのだ。

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五輪・米国選手団の中国製ユニフォーム騒動に思うこと

先日ロンドン五輪の開会式で着用されるアメリカ代表団のユニフォームが騒ぎの種になった。このアメリカ代表のユニフォームは帽子から靴まで全て中国製という点が一部の人々にとって気に入らなかったらしい。騒ぎは政界まで飛び火し、失業問題に絡めて米国製の採用を主張する議員も出たようだ。騒動の結果、米国オリンピック委員会は2014年のソチ五輪で提供を受けるものは米国製にすると発表するはめになったという。

しかしオリンピック代表の制服は「国産」であるべきという考えは、偏狭かつ損なものとしか思えない。例えオリンピックへの派遣に国民の税金が投入されようがいまいが、それは同じだ。

■既に先進国の市場では「国産衣料」を見つける方が難しい
アメリカに限らず多くの先進国では市場に中国製の服が溢れているだろう。もちろん日本もそうだ。それは大多数の「国民」が中国製の衣服に手頃な価格と一定以上の品質を認め、好んで利用している結果に他ならない。にもかかわらず「国民代表」にはそれを許さないというのは、どんな善悪の基準なのか。

■外国人コーチや帰化人の採用は良いのに…。
オリンピック選手やナショナル・チームに、外国人コーチが付くことは決して珍しくない。競技の直後、揃ってテレビ画面に映る場合もある。そこで長年の努力の結末に対し、喜びや落胆を選手と共有する所が露になる。当事者たちに何の後ろめたさもないし、外国人と組んだこと自体について周囲の者が非難することもない。それに比べればユニフォームの製造を外国に委託すべきか否かなど取るに足らない問題だ。

■当事者自身が競技生活やオリンピック出場枠のために、国籍を変える場合もある
肝心のオリンピック出場を望む選手が、出身国の代表をあえて目指さない場合もある。例えばフィギュアスケート選手の川口悠子氏はロシア代表としてオリンピックに出ることを目指し、結果的に日本国籍を失った。最近では某テレビタレントがカンボジア国籍を取得し、マラソンでオリンピック出場を目論んだ。どちらも国民を代表するというより、一個人として世界最高の舞台に立つことを何より望んでいたからに違いない。オリンピック代表とは生まれ育ち(そしてユニフォーム製造)も同一の国であるべきと考える向きの人には腹立たしい行為だろう。しかし紛れもない現実として、選手たちがそういう行動を取っている。

そもそも国別で選手を選考するのは、所詮世界レベルの競技会の出場選手の選抜方法の一つに過ぎない。

また元々近代のオリンピックとは、様々な民族がスポーツを通じて交流し世界平和を築くのが理念だったはず。国別の色分けはほどほどにし、外国と関わりのある選手に対しても尊敬や表立った応援が寛容されていいではないか。

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南スーダンへの自衛隊派遣に対する疑問

読売新聞の報道によると、政府は南スーダンでの国連平和維持活動へ自衛隊を派遣する方針を固めたという。300人程度の陸上自衛隊の施設部隊を送り、道路や橋の建設・修復にあてるのがその内容である。

20日に訪米し、国連総会に向かう野田首相の「手土産」といった感があるが、随分と割高な贈り物だ。

■社会基盤整備の参加に「日本人」の「軍隊」である必要は全くない
自衛隊を派遣するに当たっては、当然隊員の人件費が掛かる。PKO業務に従事する隊員には通常の給与の他、日額20,000~4,000円の「国際平和協力手当」が加わるという。恐らく殆どの諸外国の兵士達には、考えられない高額な手当に違いない。

他方、陸上自衛隊(軍隊)の持つ橋や道路の建設能力とは元々自らの部隊の移動を目的としたものであろう。その特徴としては極めて短時間での建築物の完成と暫定的使用にあるはずだ。長期間の内戦で荒廃した国土の復興とは求められることが違う。

例え自衛隊員が現地の人を指導して建設・修復作業を任せる方に回ったとしても、先に記した手当まで受け取る日本人で構成する自衛隊の「費用対効果」は芳しくなさそうだ。

途上国の橋や道路の建設・補修なら途上国で実績のある建設会社が仕切れば必要十分ではないか。日本の会社、日本人の指導・作業である必要など全くない。むしろ事業への現地人の積極的な参加が、長い目で見れば現地の持続的発展に最も資する。

■治安対策にも途上国の人材の活用を考えるべき
以前にパンギムン国連事務総長が自衛隊の派遣を求めていたのも、現地の治安に問題が多々あるからに違いない。物資の盗難に始まり、海外からの援助事業そのものへの抵抗もあるかも知れない。

しかし、だからと言って橋や道路の建設作業そのものを軍隊が引き受ける理由にならないだろう。どのみち誰が工事に携わろうと、結局別の者が事業の現場を警戒することになるのだから。

また先進国の軍隊が事業者の安全確保に最適とも限らない。建設作業に携わる者にすれば、何より同じ出身国の武装組織が安心かもしれない。国際社会で費用負担を分かち合えるなら途上国の事業者・軍隊に予算を割いた方が、費用対効果の点でより多くを期待できるのではないだろうか。

かつて日本の貿易黒字問題がアメリカとの政治問題になり、儲けたことへの後ろめたさか「国際貢献」という言葉があがり始めた。自衛隊の海外派遣もその国際貢献が大義名分となっている。

しかし貢献であれ各自が相対的に得意なことで協力し合えば高い効果を生むことが出来る。諸外国に比べ日本には若年労働者の余剰感がない。端的に言って日本が持っているのは、カネである。内戦の終結した地域に対し日本が兵士と資金のどちらを提供すべきかは自明ではないか。

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たばこ増税の意味

5日、小宮山洋子厚生労働相がたばこ税を増税すべきとの考えを記者会見で述べた。小宮山厚労相の主張する値上げ後の価格は一箱700円。その数字の根拠は700円まで値上げしてもたばこ税の税収総額は減らないという予測だと言う。

小宮山厚労相自身は、たばこ消費に支えられた税収を当てにすることについて良いと全く思っていないに違いない。しかし税収の維持が値上げの目安として大っぴらに公言されるということは、喫煙者の負担しているたばこ税が多大な財政的貢献を果たしていることの証左とも言える。

■喫煙を原因とする国の支出や他人への損害を超えた課税はイジメ
医療経済研究機構の行った「たばこ税増税の効果・影響等に関する調査研究」がある。その研究では喫煙による国全体の経済的損失は年間7兆円に上ると試算されている。他方たばこによる税収は2兆円程度にとどまる。しかし損失の内訳のうち医療費の増加分は1兆3千億円ほどであり、損失の大部分は労働力を減少を計上しているようだ。

喫煙者は想定される健康被害にかかる医療費を大幅に上回る納税をしている。

また健康を著しく損なう危険性があると承知の上で喫煙を続けた結果、労働市場から退出することになるのは「自由」の範囲内ではないか。そもそもどんな理由であれ、労働市場を去るのは個人の勝手であるはずだ。

仕事を失い後悔するなり諦めるなりして損害を負うのは、正しく本人であり「国や政府」ではない。喫煙の害は若者を突然と職場から消す訳でもなく、たばこで体を病んだ中高年の仕事を引き継ぐ者は大抵容易に見つかるだろう。

たばこに依存している人へさらに課税するのは、一部の人の趣向(弱み)に付け込んだ不公平な課税を助長することになるのではないだろうか。

■国の対処は、まず分煙の徹底
喫煙とは単なる「美味い物」で片付けることは出来ない。往々にして何らかの精神的ストレスが存在し、それを和らげる作用が喫煙者から期待されている。ストレスの根源は仕事かもしれないし、家庭の中にあるかもしれない。ひょっとしたら「格差社会」が大きな原因である可能性もある。喫煙者からたばこを取り上げるだけでは、決して喫煙者の抱える問題を解決したことにはならない。

健康を大義名分とした嫌煙派の勢力が強いようだか、個人の健康問題や経済的側面だけでは既に高い課税を担っている喫煙者を排斥する理由として弱い。両方の立場を尊重するなら、分煙の徹底(喫煙空間の確保)が当面の目標たりうるのではないだろうか。

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専業主婦年金の廃止

産経新聞の報道によると、厚生労働省はサラリーマンである夫(妻)がいる専業主婦(主夫)が国民年金の保険料を免除される現行制度について、適用される年収の基準(130万円)の引き下げを検討する方針を示したという。

この保険料免除制度はサラリーマンの夫を持つ専業主婦独特の特権である。共働き(130万円以上の年収)で家事・子育てをこなしている妻から見れば不公平極まりない。その根本的解決は免除基準の「引き下げ」ではなく免除制度の「廃止」することではないか。

■単なる引き下げでは働くことが馬鹿らしくなる部分が残ったまま
現行ではサラリーマンである夫(妻)がいる主婦(主夫)の年収が130万円に達すると一気に十数万円の国民年金保険料と国民健康保険料を払わざる得なくなる(受けられる給付は以前と変わらない)。だから年収がその基準から「社会保険料相当分の金額」をプラスした範囲までだとムダを通り越して損をしてしまう。これほど勤労意欲をそぐ保険料制度はあるだろうか。

きっと厚生労働省の引き下げ案というのは段々と国民年金をより多くの人から徴収し、公平に近づけるという考えだろう。しかし単に年収基準を引き下げるだけでは、少々頑張って働いたら逆に手取りが少なってしまう「年収の逆転する範囲」が残ったままである。

引き下げでは一部のパートタイマーの労働意欲まで引き下げ、労働市場への供給を不安定にするだろう。

■「専業主婦」がその世帯に有意義なら夫が主婦の分まで保険料を負担すべき
妻が外で働くことをほどほどにし、家事に力を入れることによって夫は外で活躍することが出来るという考え方がある。確かにそういう内助の功で世の男たちが支えられている面は多分にある。

ならば国が主婦(主夫)の年金保険料を免除するのではなく、外から利益を得ている夫が妻の分の保険料まで負担すればよいのではないか。妻のお陰で家庭の外での仕事が上手く行っているなら、当然保険料を負担する分の稼ぎは余分に上がっていると考えられるからだ。

また専業主婦による内助の功をどう評価するのは、夫婦によって様々であろう。国から一方的に社会保険料免除という評価をつけるのは余計である。

年収に制限をつけて保険料の免除をするという制度は、明らかに多くのパートタイマーの女性の労働の妨げになる。自ら暮らしを向上させようとする気持ちを萎えさせている。その報いは社会全体にも必ず跳ね返ってくるだろう。

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野田佳彦民主党代表に期待すること

29日に行われた民主党代表選で野田佳彦氏が選出された。野田氏の選挙区は千葉県船橋市である。菅直人首相に続き東京都心へ至近な都市を地盤とする政治家が首相の座に着くことになる。

もちろん東日本大震災からの復興も喫緊の課題として進める必要はある。しかし野田政権にもう一つ即座に取り掛かってもらいたい問題がある。「一票の格差の是正」だ。何しろ野田氏の出身である衆議院小選挙区千葉県第4区こそ日本で最も票の価値が貶められているのだから、彼も心底是正すべきと思っているはずである。彼に一票の格差是正の前進を期待したい。

■衆議院は大都市圏に小選挙区を増やす
2010年現在、衆議院の一票の格差が2倍を超える選挙区は55に上るという。衆議院の任期が最長でも2年余りとなった今、該当する選挙区を2分割してしまうのが最も手っ取り早い格差の解決策だ。

すると当然55議席分増加してしまうが、一旦増やして国会が公平な議席配分を実現した方が議員削減より国民の意思を反映するマシな選択ではないだろうか。もし出来るなら、同時に比例代表枠を削ると良いかもしれない。

■参議院は都府県を合区する
参議院の一票の格差の現状は更に酷い状態で放置されている。鳥取選挙区と神奈川選挙区では格差が5倍である。改選1の(鳥取)選挙区から議席を奪うことは、参議院の改選を定めた憲法の条文上出来ない。かといって神奈川選挙区を現在の5倍の議席にするといった調子で各選挙区の定数を是正してしまえば、全国の選挙区選出参議院議員の数が400、500と膨れ上がってしまう。

もはや参議院選挙は都道府県単位の選挙区で議員数の抑制と公平を両立させるのが極めて難しい。隣接する都府県選挙区同士を合区して議員定数を調整していくしかないのではないか。

参議院選挙では広大な北海道でさえ一つの区として扱われている(そして北海道は不当に一票の価値も低い)。ならばその半分、四分の一の面積しかない九州、四国もひとつの区として合区しても許されそうなものだ。

一票の価値が不当に高い選挙区の選出議員は、ホンネでは是正などされたくないに違いない。また一票の格差を放置したままで長期間政権を掌握してきた自民党も是正に乗り気ではないであろう。

しかし選挙権の不平等を解消することに露骨に反対する訳にも行くまい。また政権党でもある民主党は大都市での得票が多い為、一票の格差是正による利益を受けることが期待出来る。

本来は政権交代直後すぐ一票の格差是正に取りかかっていればもっと実現性が高かったのだが、まだまだ望みは断ち切られていないのではないだろうか。

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ズレている川下り船への責任追求

17日に浜松市で起きた天竜川川下り船転覆事故を巡って、運営会社に対する様々な疑問が上がっている。救命胴衣の着用の不徹底、船頭の操船経験の短さ、マニュアルの不備など。しかし安全性を追求するそれらの批判は、危険性と裏腹のスリルが売りの川下り船の性格を無視した空論ではないか。

■粗末な船だからこそスリルが楽しめる
おそらく安全性を追求した船では水面の様子も身近に感じられず、急流にも全く動じない航行なら川下りの魅力を大きく損なうに違いない。また水遊びに興じる時、「浮き」を使うかどうかは当事者の自由である。その点を国土交通省が新たに規制したり、地元警察が調べて罰するというのは余計なお節介だと思う。

■誰もが経験豊かな人を求めるけれど…
今回の転覆事故では、船頭の経験の浅さについても報道されている。船の運航に限らず、一般的に我々は自分の手に負えない仕事をなるべく経験を積んだ人に依頼したいと願うものだ。

しかし全員がその希望を叶えられるはずがない。経験とは未経験の人が仕事を重ねて獲得するに他ならないのだから、誰かしらが経験の少ないプロの相手になるのは必然である。多くの職業分野がそうだろう。それとも責任の重い仕事とされる職業は、経験を補う為にまるで宇宙飛行士の養成に匹敵するような長期間の訓練を先にすべきなのか。

■マニュアルの編集が瞬時に起こる混乱に役立つか
川下り船の運営会社には、転覆に対応する為のマニュアルを用意していなかったという。仮に転覆時の対処法を記した手引書を編集しておいても、瞬時にして二十数人もの乗客(しかもその殆どは初めての乗船だろう)を救う為の判断に有用になったかは大いに疑問だ。

マニュアルを踏み台にし実際の試行錯誤を重ねた上、体が覚えるまで練習しなければ、事前の想定は生かされまい。

■二歳児が溺死した責任の所在
この転覆によって、二歳の子供が命を落とした。もしかしたらこの子へ救命胴衣の着用で命は救えたかも知れない。あるいは川下り船の方針として幼児の乗船を始めから断っていれば確実だった。川下り船側には過失がある。

ただし個人の意思や命の保障を尊重するなら、急流下りという娯楽に二歳児を連れて行った家族も責められるべきではないだろうか。思うままにならない自然を相手にする観光業者に計画通りを求めても空しいだけだ。

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病院船導入というムダ使い

産経新聞の報道によると、政府が病院船導入の検討をしているらしい。きっと東日本大震災のような災害での使用を想定しているのだろう。もちろん災害時には医療サービスの移動が必要が求められるのは分かる。

しかし平時を基準に考えれば、わざわざ病院を「航海」仕様にして保有するのは余計な費用が掛かるに違いない。また被災地が広域に分散した場合、不公平感を持たれないよう運用するのも難しそうだ。

■そもそも病院船は戦争遂行の為に外国で使用するもの
病院船とは、戦争の際に戦場の近くで負傷者の本格的な治療が期待できない場合に必要とされるもの。大抵は自国の主権がもともと及ばない土地つまり外国こそが活躍の場である。

日本は専守防衛が建前なのだから、病院船をそのような目的に使用することは無い。また災害救助をするなら医療の拠点は現場近くの陸上に展開すれば良い。もちろん外国に対する救助でも同じことである。

■拠点・設備・資材を各地で用意、人を移動すればいい
当たり前のことだが折角病院船を用意しても、被災地が内陸部だったり隣接する港が使用不可能ならそれほど有難くない。船の機能を持つ「移動病院」よりも各地域に強固な避難の拠点を確保すべきではないだろうか。

必要なのは人材や物資を受け入れたり、逆に手に負えない患者を速やかに他の地域に送ることが出来る拠点と輸送手段である。災害に強く被害に応じて拡張性のある拠点、そして人・物資の迅速な輸送手段としての航空機、自動車そして船舶を利用できるよう準備しなければならないだろう。

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村井嘉浩宮城県知事の「復興まちづくり」

11日の東日本大震災復興構想会議において、村井嘉浩宮城県知事は県内の沿岸12市町の基盤整備に約2兆1千億円必要との試算を提出した。(http://www.cas.go.jp/jp/fukkou/pdf/kousou9/murai.pdf
また村井知事は「地元負担を極力伴わない財政措置を」求めている。

この試算で問題なのは2兆円を投じて出来る社会基盤が4万2700戸分に過ぎないことだ。土地区画整理、集団移転、道路・緑地整備などで一戸当たり約4600万円の事業費をかける計算になる。津波から逃れるという目的には効率の悪い投資だし、自らの負担無しで「まちづくり」をする魂胆も甘すぎる。

■住宅を国へ全面的に依存する気なら故郷を捨てる覚悟も欲しい
津波から人的被害を激減させるには、リアス式海岸や海抜の低い沿岸・河口部から住宅を無くす他ないだろう。結局は既に社会基盤の整った内陸の都市に引っ越すのが手っ取り早く、費用の掛からない解決策である。

一方村井知事の提出した試算では被災地一戸当たりの事業費が4600万円にも達する。それはあくまでも土地の整備であり、被災世帯は家という上物を別に用意しなければならない。そもそも4千数百万円という額は、東北地方の大都市の郊外に立派な新築の戸建を取得出来るほどの大金だ。

また宮城県の人口は既に数年前から減少に転じている。特に過疎地の区画整理や新規の宅地造成の有り難味は少ない。日本の人口減少が確定的となった今、まちを「つくる」とより、「縮める」「捨てる」ことと向き合わなければならない。

故郷の土地や昔ながらの住民同士の暮らしに拘るのは専ら彼らの都合である。都会では震災に遭わずとも仕事上の異動や狭小な住宅事情がそれを許さない。近くの高台などに集団移転を望むなら、自己負担中心で成し遂げられるべきではないか。

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兄弟への義援金支給に対する疑問

岩手県は東日本大震災の義援金支給の対象として、死者・行方不明者と生計を同一にしていた兄弟を含めるということを決定した。さらには生計の同一を問わず兄弟の他、甥姪、叔父叔母まで拡大することを検討しているという。岩手県の方針には、死者・行方不明者が残したかもしれない財産についての視点が欠落していないだろうか。

■義援金支給に相応しいのは財産を残さなかった死者の埋葬費用
もし死者が宅地や預貯金などの形で財産を残した上で、法定相続人の順位が兄弟や甥姪に回ってきたなら経済的には困らない。(但し債務の判定が煩わしいが)

兄弟が経済的に困窮している状態なら、災害による兄弟何れかの死亡が「親族の口減らし」に繋がり生活が楽になる結果となるかもしれない。また死者と生き残った者の仲がもともと著しく悪かったなら、死を悼むとも限らない。

死者の葬儀を挙げたり始末を付けるのにお金が必要なら、代わりに「相続放棄」の意思を表明することを法定相続人に対し要求すべきだ。相続放棄するなら、死者が残した債務あるいは債権債務を確定する煩わしさからも解放される。

なお行方不明者は死亡と看做しても埋葬不能だし、(形式ばかりの)葬儀の費用の捻出が惜しいと考えるなら、そんな儀式はやらなければ済むだけではないか。

■義援金は余力のある世帯への補填に使われるべきではない
東日本大震災で集まった義援金は総額2500億円にも上る。しかしこれほどの額でも幼い子供を残して働き手を失った多くの被災世帯の所得を補償するには足りないだろう。また震災で全壊した住宅は11万戸以上に達し、義援金全てを投じても元どおりの数の再建は不可能である。震災の被害が余りにも大規模ゆえ巨額に膨れ上がった義援金でさえ「ゆとり」は無いのだ。

義援金給付に当たっては「死者・行方不明者の親族」「住宅の全壊・半壊」という条件だけでなく、世帯の資産や「残された幼い子供の数」を勘案すべきである。決して給付希望者主観の「生活が苦しい」とか「死者の始末に苦労している」ではいけないだろう。

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